文七元結じゃい!

投稿日:2013/12/31カテゴリー:日記コメント:コメントはまだありません

皆様!今年もいよいよ今日でおしまい。

 

忙しさはどうですか?

 

落ち着きましたか?

 

それとも最高潮ですか?

 

一段落着いた方は、おめでとうございます。

忙しさ最高潮の方がこんなブログ見てるわけないと思いますが、

 

 

頑張ってください!

 

 

 

先日は、

 

しのはちぐるみ

 

ご視聴ありがとうございました。

今年一年で放送した「じゃい!」を振り返ったわけですが、

いろんなことというか下らないことを随分やってきたなぁと改めて。

ですが、来年も揺るぎないスタンスで(笑)やっていきますので、

どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

 

 

話しは変わりますが暮れになりますと、落語会でよくかかるネタに、

 

 

文七元結(ぶんしちもっとい)

 

 

というネタがございます。

私も23日の「らくや落語会」、そして29日の「望年落語会」とやらせていただきました。

文七元結をご存じないかたのためにあらすじをちょっと、

 

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 年の瀬、左官の長兵衛は博打がもとで借金が膨らみにっちもさっちもいかない。

このままでは年が越せない。首が回らないどころか、女房娘と首くくらなくっちゃいけない。

 それを見かねた今年十七になる娘のお久は、吉原の佐野槌(さのづち)という女郎屋に、

 

「私を買ってください」

 

と訪ねていく。

 その心情を察した佐野槌の女将が長兵衛に五十両貸してくれた。
 

但し条件つきで。
 

 来年の大晦日。それまでに五十両を返さないと娘のお久を店に出し客をとらせるという。

その女将の言葉を噛み締めながら重い五十両を懐にしまい表へ出る長兵衛。

 どんな想いで歩いていたのか吾妻橋にかかってきたところで一人の若者と出会う。

 

この若者、名を文七。
 

 店の金をスリにスラレたので死んで詫びようと、
まさに今、吾妻橋から下の大川へ飛び込み死のうとしているところだった。

 それを止めてワケを聞いた長兵衛。
 

スラレた金は懐と同じ五十両。
 

 いくら言って聞かせても死ぬと聞かない文七に、
娘が吉原へ身を沈めてこさえてくれた五十両をやってしまう。
 

 お互いほとんど素性を明かさなかったため、誰にやったのか誰にもらったのかわからない。

長兵衛は家に帰ったが女房と夜通しで喧嘩。

文七もスラレたと思っていた金が実は得意先の屋敷に忘れていただけだとわかり大慌て。

 なんとか長兵衛の家を探し出した文七と主の卯兵衛が、もらった五十両を返そうと訪ねてくる。
 

「一度懐から出た金だ、俺のじゃない」
 

と中々受け取らない長兵衛だったが、女房の説得(笑)もあり渋々とその五十両を受けとる。

 そして実は卯兵衛、お久を佐野槌から身請けしていた。

佐野槌の女将に化粧も着物も綺麗にしてもらったお久を見て長兵衛が泣く。

 そして故あって裸に袢纏一枚で枕屏風の陰に隠れていた女房も、

愛娘の「おっ母さん」という呼びかけに、なりふり構わず飛んで出て、

それを見て驚く卯兵衛と文七に構うことなく、親子三人抱き合いながら嬉し涙を流す。

 これが縁で文七とお久が夫婦になり、麹町に元結屋を開き大変に繁盛したと申します。

 

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と、演る方によって登場人物や多少描写は違えども、あらすじは大体こんなかんじです。

 

23日の「衣裳らくや」さんでこのネタを演りたいと思ったときに、

せっかく演るんだったら、最後のお久が身請けされて長兵衛の前に現れるシーン、

そのときお久が着ている着物を、お店の方にコーディネートしてもらおうと思いました。

すると、なんと着物スタイリストで「らくや」さんの代表でいらっしゃる、

石田節子先生みずからコーディネートしてくださることになりました。
 
その着物がこちら、

 

 

 
どうですか?

江戸時代のアンティークだそうです。

しばらくは演りませんが、これからあのシーンはこの着物を思い出しながら演ろうと思います。

聞けなかった方は来年楽しみにしていてください。

 

そして、あまり知られていないのがこの文七にはモデルがいるということ。

このネタは三遊亭圓朝師匠がお作りになった噺だそうですが、桜井文七という人が実在したそうです。

 

 

元結(もっとい)

 

 

昔の人はチョンマゲでした。

その髷を頭のてっぺんでまとめている細い紐。

それが元結です。

 

もともと元結は紙でできているわけですから非常に弱かったんだそうで、

それを桜井文七さんが改良に改良を重ね強く作ったのが文七元結なんですって。

それが評判になり、今も飯田水引として残っているんです。

出身は岐阜だったそうですが、長野の飯田で修業をして江戸で花咲いた。

その技術がまだ残っているわけです。

それを「らくや」さんのスタッフさんが調べて教えてくださいました。

 

 

長野の飯田

 

 

そう、「らくや」さんでやった前日の22日に私がいたのが長野の飯田。

なんか、縁を感じますよね。

そして、調べてくださった方のアイデアで、「らくや落語会」にいらしてくださった皆様に、

お土産がございました。

 

 
これは、前回にもコラボさせていただいた、パティシエ村中徳仁さんが作ってくれた、

「らくや」さんのロゴにもなっている瓢箪柄のクッキー。

赤いのはイチゴです。

そして、その包みを結んでいるのが、なにを隠そう、

 

 

飯田水引じゃい!

 

 

でございます。

 

 

ナイスアイデアじゃい!

 

 

石田先生、スタッフの皆様、そしてご来場いただいた皆様、

ありがとうございました!

 

 

 

 

さあ、いよいよ大晦日!

この忙しい最中手を休めてこのブログをご覧いただきましてありがとうございました。

今年一年大変お世話になりました!

そして来年もよろしくお願いいたします。

来年が皆様にとって良い年でありますように。

 

 
 

それでは、これから毎年恒例カウントダウン寄席へ行ってまいります。
 

 

いざ!横浜にぎわい座!
(ちょっとシャレっぽくなっちゃったんじゃい!)

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